がんを生きる:ここに在る幸福 反響特集 勇気もらい「私も前向きに」

がんを生きる:ここに在る幸福 反響特集 勇気もらい「私も前向きに」

◇闘病中の読者から共感の声
 末期がん発覚から1年。11月、毎日新聞社出版局に復帰した三輪晴美さん(45)が自らつづった連載「がんを生きる~ここに在る幸福」に対し、闘病中の方々からたくさんの反響をいただきました。一部を紹介します。【清水優子】

 ◇患者の発信重要
 三輪さんの記事を読み、当事者が声を上げ発信することの大切さと重みを感じました。

 07年11月、鳥取県米子市で乳がんの手術を受けました。私が住む隠岐島から船と車を乗り継ぎ片道3時間半。最初は月1回、点滴のために泊まりがけで米子へ通い、今も3カ月に1回通院しています。高額な医療費に加え、交通費や宿泊費が重くのしかかります。容体が急変しても、悪天候で船やヘリコプターが運休すれば死を覚悟しなければならない心細い状況です。

 今年9月、乳がん患者の友人2人と島内に「乳がんサロン すまいる」を開きました。島根県は05年度からがん患者と家族らが自由に語り合える「がんサロン」開設に積極的に取り組んでおり、「すまいる」は23カ所目の登録を受けました。

 月1回、島内の患者7~8人が集まり、お茶を飲みながら雑談や情報交換しています。患者同士でなければ理解し合えないことがある。私自身、仲間と話すことでどれだけ救われたか分かりません。今度は他の患者の力になり、サロンを拠点に医療格差の現状なども訴えたいと思います。=島根県西ノ島町、自営業、島津優子さん(52)

 ◇再び夢追いたい
 三輪さんの記事を読んで「自分は甘かった」と痛感しました。

 08年9月、乳がんの告知を受けました。手術の結果、リンパ節にも転移が見つかりました。8カ月の抗がん剤治療を終え、今は月1回ホルモン治療を受けています。

 副作用で気分が落ち込み「なぜ自分だけがこんな目に」と、長く悲劇のヒロインを気取っていた気がします。三輪さんが勇気を持ってがんと闘っている姿に心を打たれました。

 私は児童文学作家を目指していました。コンクールで最高賞を受賞し、本を出したこともあります。子どもの作文教室も開いていました。すべて病気を機にあきらめ、夢を追う気持ちを忘れかけていましたが、再開しようと思っています。三輪さんの記事が私の背中を押してくれました。=兵庫県川西市、主婦(48)

 ◇仕事と治療両立
 08年末、検診で胸のほか肝臓、リンパ節に計5カ所のがんが見つかりました。抗がん剤でがんを小さくし、今年7月に切除手術を受けました。三輪さんと同じ「ステージ4」の末期がんで、治療中は脱毛や手足のしびれ、体のだるさなどの副作用に悩まされました。

 私は病院の精神保健福祉士として働いています。精神障害者が地域で暮らせるよう相談に乗ったり、支援する仕事です。治療はつらかったけれど、仕事を辞めるつもりは全くありませんでした。10年前に離婚して娘2人を養わなければならない経済的理由もありますが、やっぱり仕事が好きだからです。今も週1回、半日の抗がん剤治療を受けながら働き続けています。

 記事を読み、実名と写真を出して手記を書くのはどんなに勇気が必要だったかと思いました。私は「なぜ自分が?」という思いからなかなか抜け出せませんでしたが、三輪さんが「人生ゲームの『乳がんになる』というマスにコマを進めただけ」と静かに受け止める様子に、私もそんなふうに前向きに考えていけたらと励まされました。=山口県下関市、病院職員、女性(50)

 ◇希望を感じた
 何げなく触れた胸にしこりを感じたのは今年6月。乳がんと分かり、7月末の手術が決まりました。1年前に乳がん検診を受けたばかりでしたが、しこりは1円玉ぐらいの大きさで、リンパ節にも転移していました。

 当時は福祉施設で働いていました。定年退職後も嘱託で残り、20年余り無欠勤で働き続けた愛着のある職場でした。施設の利用者から頼りにされるのがうれしく、やりがいも感じていました。もうしばらく働きたかったのに、病気を理由に職場を去らなければならなかったのが残念でなりません。失ってみて改めて、仕事の大切さに気づきました。

 家族に心配をかけまいと元気に振る舞っていますが、ホルモン剤も抗がん剤も効かず、将来への不安で眠れない夜もあります。そんな時、前向きな三輪さんの記事を読み「ひょっとしたら私も治るかも」と希望を感じ、勇気づけられました。=愛媛県、60代主婦

 ◇目標が免疫力に
 今年10月、咽頭(いんとう)がんの手術をしました。早期の発見でしたが、当時は「がん=死」のイメージが強く、告知から1週間ぐらいは落ち込んでいました。

 気持ちを立て直す原動力になったのは、早く仕事に復帰したいという思いでした。脱サラ後、東京・赤坂に念願のライブハウスをオープンしていました。入院中も病院の談話室でギターを弾いたり、主治医の許可を得て店に出ました。

 11月中旬に退院し、放射線治療も終わりました。職場に戻り、今は週6日、午後7時から約5時間働いています。三輪さんもそうでしょうが、何か目標があると免疫力が上がり、病気に立ち向かう気力が生まれる気がします。私の場合、それが仕事でした。=千葉市中央区、ライブハウス経営、戸田健治さん(58)

 ◇皆さんの励みになりたい--三輪さんのメッセージ
 私は治療経過も、周りの環境にも恵まれましたが、それをありのままに書くことで、傷つく患者さんがいないかと心配でした。でも、いただいた感想は励ましや共感ばかりで、とてもありがたく、生まれて初めて人の役に立てた気がしました。マスコミが提供するがんの情報は死ばかりを強調しがちですが、同じ立場の人たちに安心材料を与えたかった。これからも何年も生きて、皆さんの励みになるよう頑張りたいと思います。

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