ものの始まり・なんでもなにわ:/17 ホスピスケア /大阪

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◇73年、末期患者に取り組み 全人的チームアプローチ--淀川キリスト教病院
 ◇肉体的・精神的痛み緩和
 末期がん患者など死期の近い病人の苦痛を和らげながら、精神的援助を通じて生を全うできるよう看護するホスピスケア。ホスピス病棟設立は1981年の聖隷三方原病院(浜松市)が日本第1号だが、ホスピスケアの取り組みは73年、淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)で始まった。中心となったのが、同病院の柏木哲夫・名誉ホスピス長(金城学院大学長)だ。

 柏木さんがホスピスケアと出合ったのは、72年。米セントルイスのワシントン大学病院精神科に留学している時だった。3年間の留学の最終年、医師や看護師のほかに、宗教家やソーシャルワーカー、ボランティアまで参加して末期がん患者の看護にあたるチームアプローチを初めて知った。柏木さんは「目からうろこが落ちる思い。感動しました」と振り返る。

 帰国後、淀川キリスト教病院の精神神経科医長に就任。翌73年の夏、外科医から、ある患者について相談を受けた。62歳の末期の直腸がんの男性で、がんの痛みと死への恐怖感から、うつ状態になっていた。複雑な家庭事情も抱え、主治医も対応に苦慮していた。

 そこで提案したのがチームアプローチだった。主治医と柏木さん、さらにソーシャルワーカーと看護師、牧師が週に一度話し合いながら、痛みの緩和や死に対する恐怖を取り除くカウンセリングを始めた。やがて男性の痛みも精神状態も、家族関係も改善していった。手応えを感じ、同年「OCDP」と名付けた院内勉強会を発足した。「Organized Care Of Dying Patient(死にゆく人々のへの系統的な配慮)の略です。病棟は持たないけれど、我が国初のホスピスプログラムでした」

 だが、課題は残った。当時、患者の死は医学の敗北という考え方が支配的だった。「でも、末期の患者には輸血すら負担になる場合もある。治療をしないケアの概念を入れていくのは、周囲に抵抗が強かったですね」

 病室の環境も問題だった。人生の最後を過ごすには、「広くてあったかくて、ゆったりした場所」が理想。だが、大部屋の病室では実現困難だった。

 そこで、英国のホスピス病棟を目標に、病院内にホスピス病棟を建設する活動を始めた。82年から3年かけて2億円の寄付金を集める計画だったが、各地に賛同者が生まれ、1年9カ月で目標額を達成。84年に新病院の7階に個室11室4人部屋3室の23床と、キッチンやロビーを備えたホスピス病棟が完成した。

 現在、日本ホスピス緩和ケア協会登録の施設は195カ所に増えた。しかし、柏木さんは「全死亡者のうち、ホスピスが関与して亡くなる人は年5、6%程度。1割ぐらいがホスピスで死を迎えるくらいになるには、まだまだ施設は必要」と話す。

 さらには、自宅で死を迎える人のため、家庭への訪問看護をもっと増やす必要がある。「これまでは『みとりのための病棟』だったが、今後は『在宅療養を支援する拠点』という側面にも目を向けていく必要がある」と柏木さんは指摘する。【高野聡】

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