がんを生きる:/56 子宮がん/上 摘出しか方法ないのか /大阪

がんを生きる:/56 子宮がん/上 摘出しか方法ないのか /大阪

◇子どもが欲しい セカンドオピニンの旅
 東大阪市の山野あかりさん(36)=仮名=は、05年11月、子宮体がんの宣告を受けた。不正出血が続き、精密検査を受けると、腫瘍(しゅよう)が見つかった。半年に一度、「子宮がん検診」を受診、異常はなく安心していた。「なのに、なぜ?」突然の出来事に、困惑した。

 後になって、山野さんが受診していたのは、子宮頸(けい)がんの検査だったと知った。「自分ががんになるまで、頸がんと体がんの違いなんて知らなかった。子宮のどの部位の検査かなど、病院で説明を受けたこともなかった。多くの人は、病気の区別がつかないまま検診を受けているのでは」。山野さんは、そう指摘する。

    ◇

 告知を受けた日、病院から自宅まで、どうやって帰ったか覚えていない。覚えているのは、「調べなくちゃ」と夢中で書店に駆け込んだことだ。医学関係の書棚に並んだたくさんのがんの本。見ると、「『がん』の二文字が3Dみたいに目の前に飛び出してきて、クラクラした」。家に着くと、今度は見慣れた玄関のドアが開けられない。ノブを握る手がぶるぶる震えた。

 12月中旬、確定診断が出た。「ほんまに私の中にがんがいるんやろか」。目の前でMRI(磁気共鳴画像化装置)の画像を見せられても、他人のものを見ているようで信じられなかった。医師から病状を説明され、とっさに浮かんだのが「早くがんを取って」ではなく「子宮を残して」だったことに、自分でも驚いたという。「未婚で、すぐに子どもが欲しいと思っていたわけでもなかったのに」と振り返る。

 しかし、医師は標準治療として子宮摘出を勧めた。「他に選択肢はないんだろうか」。悩んだ末、「セカンドオピニオンに行きたい」と切り出すと、医師は快く紹介状を書いてくれた。

    ◇

 納得できる治療法を求めて、山野さんの「セカンドオピニオンの旅」が始まった。夜行バスに乗り、MRIの画像が入った大きな袋を提げて、東京まで出かけた。「将来、子どもが欲しい」。子宮を残したい一心だった。年末年始の間に、3カ所の病院を回ったが、どこでも子宮摘出を勧められた。それでも決心がつかない。

 そんなころ、自宅には、たくさんの年賀状が届いた。「赤ちゃんが生まれました」。友人たちのうれしい報告を素直に受け入れられない。あどけない子どもの笑顔さえ憎らしく思え、破り捨てたい衝動にかられた。そんな自分に落ち込んだ。「私って、最低やわ」【林由紀子】

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