Dr.中川のがんから死生をみつめる:/40 「絶対時間」の存在

Dr.中川のがんから死生をみつめる:/40 「絶対時間」の存在

 「永遠の時間に比べて、人生はなんと短いことか!」。これが、私たちの実感でしょう。がん治療の現場でも、「余命1年」などと「命の時間」を告げられることがあります。この「時間」について、考えてみたいと思います。

 最初に、「時間とは何か」という問いから始めましょう。

 現代人は、時間を「過去から未来に向かって飛んでいく矢」のようにイメージしていると思います。この世が始まる前からすでに存在し、この世のすべてを支配する「絶対時間」のイメージです。しかし、「神の存在」を証明できないことと同じように、何からも影響を受けずに一定の速さで過ぎていく絶対時間の存在を証明することもできません。

 この絶対時間という考えが生まれた背景には、機械式時計の登場が大きいようです。腕時計を持たなかった子どものころ、遊ぶのに疲れたり、おなかが減ったりした時刻が、家に帰る時間でした。学校に通うようになり、「始業時刻に遅刻してはいけない」「おなかがすいても正午までは弁当を食べてはいけない」と教えられました。つまり、時間とは時計で計るもの、自分がどう感じるかとは関係ない「絶対的な」時間があると「学習」していったのです。

 現代の日本では、社会生活のなかで時間を守ることは当然のことになっています。スイスで暮らしたとき、日本の鉄道運行の正確さを思い知らされました。先進国の中でも、日本人の時間に対するきちょうめんさは飛び抜けていると思います。

 しかし、日本人も昔は、「日が昇れば働き、日が沈めば休む」という自然が示す「時間」の中で生きていました。時間の間隔も、日の出と日の入りを基準に、昼と夜をそれぞれ6等分して、「子(ね)の刻」「丑(うし)の刻」などとしていました。一刻は、およそ2時間ですが、昼と夜の長さは、季節や場所によって違います。夏と冬、江戸と大坂で、時間の幅は違っていたのです。

 当然、江戸時代までは、日本人の時間感覚は、かなりおおざっぱだったようです。「遅刻」という観念はなかったと言います。ああ、うらやましい。

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