がんを生きる:/57 子宮がん/中 「生きていてほしい」 /大阪

がんを生きる:/57 子宮がん/中 「生きていてほしい」 /大阪

◇母の言葉に押され手術を決断
 子宮体がんの宣告を受け、医師に子宮の全摘を勧められた山野あかりさん(36)=仮名、東大阪市=は、06年1月、セカンドオピニオンを求めて1人上京した。「子宮を残したい、いつか子どもを産みたい」。その一心だった。

 最初に訪ねた病院の待合室。子宮を失うかもしれない山野さんと大きなおなかの妊婦が背中合わせに座った。「もうすぐだね」。付き添いの母親らしき女性が、いとおしげに話しかける。山野さんには、そんな現実が耐えられなかった。産婦人科の場合、産科と婦人科の患者が同じ待合室で過ごすこともある。「私のように、深く傷つく人もいるのに」と山野さんは思う。

 「ここで最後にしよう」。そう決めて訪ねた別の病院でも、答えは同じだった。「私の妻があなたと同じ状態でも、摘出を勧めます」。医師は言った。ずっと張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れた。その場にへなへなと倒れ込み、ひとしきり泣いた。病院の展望レストランに上ると、海がキラキラと輝いて見えた。「別世界みたい」と思った。

 大阪へ戻ると、主治医は何度も念を押した。「本当に納得しはったんですか?」「(手術を)決めてしまっていいんですか?」。山野さんは、即答できなかった。「もう少し考えてみましょうか」。医師は待ってくれた。

 「ぐちゃぐちゃ言ってないで、早く治療しなあかんやろ」。その夜、自宅に戻ると、父はいら立ちを隠さなかった。「簡単に言わんといてよ。私の気持ちなんかわからんくせに」。山野さんはつい、言葉を荒げた。

 翌日、数年ぶりに母と近所のスーパー銭湯へ行った。小さな子どもを連れた母親を見て「私には、もうこんなことはやって来ないんだ」と思った。乳がんの手術跡のある女性も見かけ、複雑な気持ちになった。

 「いろいろあるかもしれないけど、私はあなたに生きていてほしいからね」。母の言葉に初めて、「ああ、心配してくれてたんや」と気付いた。「これ以上、心配をかけられない」。母に背中を押され、山野さんは手術を決心した。

    ◇

 3時間半に及ぶ開腹手術。ICU(集中治療室)で麻酔から覚めると、傷口がズキッと痛んだ。「やっぱり子宮を取ったんだ」。いろんな管がつながれ、寝返りも打てない。もうろうとする意識の中で、とめどなく涙があふれた。

トラックバック&コメント

この記事のトラックバックURL:

まだトラックバック、コメントがありません。


チャリティー公演:安曇野のアマ劇団、白血病のモンゴル男児支援--30日 /長野 »
« 乳がん治療、地域一丸で 道南の医療関係者が研究会