Dr.中川のがんから死生をみつめる:/42 現代人の時間感覚

Dr.中川のがんから死生をみつめる:/42 現代人の時間感覚

「過去から未来へ向かって時間は流れている」「時間の進む速さは、だれにとっても同じ」「永遠の時間に比べて、人生はなんと短いことか」。これらの時間に対する感覚の起源は、どこにあるのでしょうか。

 原始的な共同体社会では、時間は、太陽や月の動き、季節の循環のように「繰り返す」もので、「時がたつ」という感覚はなかったといわれています。インド、ギリシャ文明では、時間を「円」のように回るものと、とらえられていました。輪廻(りんね)思想の根底には、この時間の観念があります。終わりがないのが円の特徴で、インド哲学や仏教がめざす「解脱」は、終わりのない時間の輪からの脱出に他なりません。

 一方、キリスト教や近代西欧文明の出発点となったユダヤでは、時間は右肩あがりの線分のイメージでとらえられています。旧約聖書にある「天地創造」によって世界は始まり、「終末」によって歴史は終わるという考え方です。この始まりから終わりに向かって一方向に流れる時間、これが現代人の時間感覚の基本にあります。そして、「1回限りの人生」や「短くはかない」という思いにつながっています。

 私たち日本人は、ユダヤ・キリスト教的な「時間は一方向に進み、後戻りできない」という時間観を受け継ぎながら、歴史の終末は意識していません。また、天体や宇宙に関する科学知識は、広大な宇宙と永遠の未来、という感覚を植えつけます。

 実際、私たちは極端な「未来志向」を持っています。科学・技術のみならず、視点は常に未来にあります。卑近な例では、来月もらう給料のため、今の時間を「犠牲にして」勤労する経済のあり方が、象徴でしょう。この未来志向は、時間の感覚を、始まりと終わりのある「線分」から、さらに、「終わりのない(=永遠に続く)直線」に変容させたように思います。

 ところが、地球にも宇宙にも寿命はあります。ネズミの寿命は数年ですが、ネズミは一生を「短くはかない」とは感じてはいないはずです。歴史や文明が築いた感覚に基づく私たちの勝手な思い込みが、時間の感覚をゆがめているのです。

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