しあわせのトンボ:がんセンター名誉総長と靴=近藤勝重

しあわせのトンボ:がんセンター名誉総長と靴=近藤勝重

記者をやっていてよかったなあ。今さらのようにそう思うのは、相手の言葉にうなずいて、どうしてもその一言を書いておきたいと思う時だ。

 先日、MBSラジオの情報番組で、国立がんセンター名誉総長で話題の書「妻を看取る日」(新潮社)の著者である垣添忠生氏とお話しする機会を得たが、その時の氏の体験談にもそんな思いを強くした。氏は同じ状況の人に役立つなら、とスタジオからの電話に一つ一つ丁寧に答えてくださった。最愛の伴侶をがんで亡くして以後の生活も、「しばらくは酒びたりの生活でむちゃくちゃでした」などと振り返り、自然で飾らない人柄が随所にうかがえた。

 そしてこんなやりとりがあった。奥さんの没後、強烈なうつ状態に陥り、自死すら考えた氏が、いかにして再起のきっかけをつかんだか。スタジオとの話がそんな流れになった時、やはり奥さんを亡くして1人暮らしを続けている作家の眉村卓氏が、本紙夕刊の「新幸福論」で「気力が体裁をつくるのではなく、体裁が気力をつくることもあると思う。生活にボロを出さないようにと思うと、どこか頑張るでしょ。底の抜けた靴を履いていることがないようにとか、新しいズボン買わないと、と思うと、気力が持ちますよね」と話していたのを思い出した。

 その話を紹介すると、垣添氏は「あ、なるほど、それはありますね」と次のように言葉を続けたのだった。

 「靴屋さんに磨いてもらった靴がきれいになると、気持ちもしゃんとします。身だしなみや外見はすごく大事ですね」

 聞いていて「靴」に反応されたのがよくわかった。考えてみれば靴は、「歩く」ということを通して日常性や社会性と深くかかわっている。靴を履かずして長い道のりは歩けない。その長い道のりを人生という言葉に置き換えると、靴は価値を一層増す。日常の営みとか、生きていく日々を支えているのは実にささやかなものなんだ。氏の言葉は、そんなことを思うぼくの胸にすとんと落ちた。

 1年半にわたる妻との闘病生活の間も、そして自宅で妻をみとって以後も、ふらっと靴屋さんに立ち寄って革靴のツヤを取り戻し、元気を取り戻してきたという話は、著書でもふれているが、その日の番組での話はとりわけ印象に残った。地声というか、普段と変わらないそのままの声と一緒に耳に入ってくる言葉に、氏の日々が感じ取れたからだろう

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