がんを生きる:/66 10年後の春/下 社会人入試で短大生に /大阪

がんを生きる:/66 10年後の春/下 社会人入試で短大生に /大阪

◇希望に胸躍らせ、新生活スタート
 乳がんと知らされ、99年6月に手術を受けてからずっと、「10年後」を意識していたという。乳がん患者団体代表、河野一子さん(55)=富田林市。手術前、「完治と言えるのは10年後」と主治医に言われていた。

 手術の日程は、当時小学4年の次女真美さんの誕生日が近かったため、自宅で祝えるように逆算して決めた。真美さんは毎日見舞いに行き、夜は不安を募らせ布団で泣いた。手術が無事に終わり、退院したのは誕生日当日だった。

 河野さんはその後、苦しい治療や不安を乗り越え、「患者同士で語り合えたら」とインターネット上の患者会をスタートさせた。仲間を失うつらさも経験した。やがて長かった10年が過ぎ、昨年6月、真美さんの20歳の誕生日を迎えた。

 そのころ、河野さんは魅力的な考えで頭がいっぱいだった。真美さんが通う大阪女子短大(藤井寺市)の社会人入試だ。短大で講演した際に、担当教授に制度について教えてもらった。

 「私でも大学に入学し、勉強できるチャンスがあるんだなぁ」と大学生活にあこがれ、夢になった。高校生のころは「女性は大学進学しないものだ」という時代の雰囲気があり、受験は考えなかった。だが、真美さんが短大に入学し、「私も行きたかったかな。もっと勉強したかったな」と感じていた。

 短大受験の夢が膨らむ一方、簡単には決心がつかなかった。授業料の減免制度はあるが、経済的に可能なのか。患者会の活動は続けられるのか。能力や体力、時間の問題はクリアできるのか。ぎりぎりまで悩み、願書は提出締め切りの前日、短大に直接行って手渡した。

 河野さんは言う。「短大で講演しなければ、社会人入試は考えもしなかった。いろんな方がくださったチャンス。今、使わなかったら、私には二度と回ってこないと考えた。娘は成人し、親としての責任も軽くなった。娘も『勉強するのはいいこと』と背中を押してくれた」

    ◇

 昨年12月、合否を知らせる郵便が届き、真美さんの携帯電話にメールした。

 「きたー」

 「どうやった?」

 「怖いから開けてない。帰ってきたら開けてね」

 「いま開けなさい」

 そして河野さんは、喜びをかみしめながらメールを送った。「合格や」。娘と入れ替わりに、短大に通うことが決まった。

 河野さんは5日、若い学生に交ざり、入学式に出席した。「今を精いっぱいに生きたい」。手術から10年が過ぎて迎えた春。河野さんは希望に胸を躍らせ、新しい生活をスタートさせた。

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