悼む:がんと闘った耳鼻咽喉科医・小倉恒子さん=3月19日死去・57歳

悼む:がんと闘った耳鼻咽喉科医・小倉恒子さん=3月19日死去・57歳

◇治療で得た情報、広く提供--小倉恒子(おぐら・つねこ)さん=乳がんのため3月19日死去・57歳
 08年12月、取材で初めて会った。栗(くり)色のウイッグに花柄の洋服、きれいに施したメークとネイル。待ち合わせの店に現れた小倉さんは、花が咲いたように華やかだった。「がんイコール死じゃない。適切な治療で日常生活が送れることを、私の姿で証明したいの」と屈託なく笑った。

 34歳で乳がんが分かり、左乳房を切除。47歳で再発、さらに再々発を経て、全身に転移した。実家の耳鼻咽喉(いんこう)科医院で副院長を務める傍ら、他の3病院でも外来医として勤務。この間、40歳で離婚し、2児を育てた。講演で全国を回り、ブログではがん患者の相談に温かく、冷静な言葉で答え続けた。

 「全身に転移しても、こんなに元気よ」。発病前に始めた社交ダンスの教室に週1回通い続けた。精神力が病魔を遠ざけたように見えたものの、昨年9月、主治医に「余命1カ月」と告げられた。それまで両親にも弱音を吐いたことがなかったが、悲壮な表情で身辺整理を始めたという。

 高熱が続き、1月中旬に入院。一度家に戻って再入院した1週間後、長男佳紀さん(28)に見守られ、息を引き取った。ひつぎにはダンスの衣装や自著などが納められ、東京女子医大の卒業式で着た着物をまとい、旅立った。父孝さん(84)は「がんを個人的体験に終わらせず、医師として患者に情報を提供する使命を感じていた。やるだけやって、命を全うした娘をほめたい」としのんだ。

 抗がん剤をがんと闘う「武器」と呼び、効く承認薬がなくなると自由診療で高額の未承認薬を試し、その結果をブログで報告した。最後の書き込みは、亡くなる12日前。抗がん剤の承認の遅れが、救える命をも奪っている現実を憂えた「ドラッグ・ラグ」がテーマだった。

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