骨肉腫:右脚を切断…失意克服、練習に励む 夢はパラリンピックで金メダル /宮崎

骨肉腫:右脚を切断…失意克服、練習に励む 夢はパラリンピックで金メダル /宮崎

◇小林高3年・羽田野さん
 県立小林高校3年の羽田野卓也さん(19)はバスケットボール少年だった。ゆくゆくはプロにと、体育コースに進んだ。希望に満ちた前途が暗転したのは入学した07年の夏だった。練習中に右脚大たい骨を骨折した。ジャンプした着地の衝撃で折れた。医師の口から信じられぬ病名が告げられた。骨肉腫。手術で右脚を失った。しかし、1年間休学し、新たな目標を見つけた。失意の彼を再びトレーニングへと駆り立てたもの。それはパラリンピックのビデオだった。【川上珠実】

 シューティングガードとして活躍。50メートル6秒4の俊足が自慢だった。骨折した後、検査入院を繰り返し、08年8月に太ももから下を切断する手術を受けた。幻肢の痛み、転移の恐怖と闘い続けた。そして、目の前にある銀色に鈍く光る義足。これが今日から自分の右脚だと言われてもピンとはこなかった。ただ「もう一度、自分の足で走ってみたい」という希望を捨てなかった。

 懸命にリハビリに打ち込むその姿に、義肢製作所の社員がぜひ見てほしいと手渡したものがある。北京パラリンピックの陸上男子百、二百、四百メートルで3冠を達成したオスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)のビデオだった。両ひざから下を失いながらも、特殊な炭素繊維の両義足で、百メートルを10秒台で走る選手だった。

 「驚きました。勇気をもらいました」と羽田野さん。そして「目をつぶると走っている自分の姿が浮かんでくるんです」とも。ビデオはふさぎ込みがちな気持ちを前向きにしてくれた。

 紹介したのはマキタ義肢製作所(都城市、牧田光広社長)の義肢装具士、塚本哲也さん(38)。

 「両義足でも走れる人がいることを羽田野君に知ってほしかった。前向きで、意欲があるし、他の障害者に勇気を与えられる存在になってほしい」と話す。

 なぜ自分にだけ足がないのか、のほほんとしている周りにいらいらしたという羽田野さんだが、今は違う。

 「女手一つで自分を育ててくれた母親のためにもパラリンピックに出場して金メダルを取りたい。やれば何でもできるってみんなに見せてやりたい」

 放課後、校内のトレーニング室で一人、黙々と汗を流し、次の夢へと向かっている

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