がんを生きる:/68 励ましの便り/下 記事が道を示してくれた /大阪

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 ◇闘病体験、今後の取材に生かしたい
 闘病記「骨肉腫と闘う」を連載中、最初に届いた手紙は、当時教師だった柏原市の伊藤恵子さん(60)からだった。「膵臓腫瘍(すいぞうしゅよう)の疑いと宣告されたばかり」と記されていた。

 手紙をいただいたのは、今年1月20日、同僚記者が朝刊プラスα面のコラムに私が昨秋に職場復帰したことを紹介して間もなくのこと。「よかった! 復帰されているんだ!」の後に、ご自身は医師から「合併症の心配はあるが、手術がベスト」と説明を受けた一方、教職39年目となる今年の3月で退職するとも。人生の大きな節目の時期に揺れる心境がつづられていた。

 私も返信を出し、4月初めに3通目が届いた。手術でがんを摘出し、転移はなし。3月30日に退院し、翌日の退職の辞令は職場でもらうことができたとのことだった。

 伊藤さんに電話してみた。約25年前、同僚を膵臓がんで亡くしただけに今回はショックだったが、入院したことで家族や友人とのきずなが深まったそうだ。私には、「復帰、おめでとうございます」と改めて言葉をかけてくれた。

 4月中旬、大阪市の東由起子さん(49)から「父もがんと闘っていましたが、2月に他界いたしました」と手紙が来た。次第に衰えていきながらも治ると信じていたといい、「苦しみから解放されてよかったと心から思えるくらい、父なりに病に向き合い、縁の薄かった私との時間をつくってくれました」。

 また、「病気に潔く向き合う佐々木さんの姿勢が、父の病を受け入れられる唯一の救いの手だてでした」「頑張ってこられたから、これからはゆっくり一つずつ。あまり頑張りすぎないで」と私への心遣いもあった。

 4月下旬には、小児がんの手術を2度、経験している小学生の息子を持つ母親からメールが届いた。最初の手術の時、お母さん友達に「あかんらしい」とうわさされて傷つき、それ以来、本当に仲のよい人にしか話していないのだという。

 「がん=死や、同情の目で見られることに耐えられません」「現実を背負っていくのは重たすぎます。どこかで向き合わないといけないとは思いますが」--。悩む心の内をつづり、「ですからこそ、あなたが連載されたことに感動しました。記事で道を示していただいたように思います」と書かれていた。

 私も再発のリスクを抱える。だが、医学は進歩する。がん=死ではないことを、多くの人に知ってほしい。

 私は今年、記者21年目。これまで自分の記事に、これほど温かく真剣な便りをもらったことはない。幸せに思う。今後は、がん体験者になったからこそ得られた視点を、取材活動に生かしていきたい。

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