がんを生きる:/69 乳がん/上 8カ月放置し悪化 /大阪

がんを生きる:/69 乳がん/上 8カ月放置し悪化 /大阪

◇手術で幸運にも乳房温存
 がん患者に医療情報を提供するNPO法人「キャンサーネットジャパン」大阪事務局(大阪市淀川区)は、若い乳がん患者を対象に「おしゃべり会」を開いている。同じ世代同士で悩みを話し、心の負担を軽くしようという試みだ。コーディネーターは事務局スタッフの橋本真由美さん(43)。橋本さんも乳がん体験者。自分で胸にしこりを見つけながら、8カ月間、医師の診察をずるずると後回しにしていた。

 自分で胸を触る自己検診は年2、3回だった。たまたま触った右の乳房にしこりを感じたのは04年1月のこと。「乳がんでは」と不安が頭をよぎったが、派遣の仕事が決まったばかり。がんを告げられる怖さもあり、病院に行かなかった。

 2月、しこりのすぐ上が膨れ始めた。水がたまる「のう胞」。6月には直径約10センチになった。それでも、間近に迫ったドイツ旅行を優先。旅先で妻の異変に気づいた夫の信吾さん(47)は「悪いものだったら、どうするんだ」。その後も信吾さんから病院での検査を勧められたが、9月にも米国旅行があり、そのままにし続けた。

 病院に向かったのは9月末。数日後、医師から告知があった。「乳がんです」。頭が真っ白になった。乳房を残せるのかも気になった。「取ってしまってから、再建を」と医師。でも、乳房が一つしかない姿は想像できなかった。

 帰宅後、約2時間は放心状態だった。我に返り、仕事中の信吾さんに電話した。「そうやったんか」。いつもは感情をあまり表に出さない夫の声が沈んでいた。気を取り直し、本やインターネットで情報を探し始めた。

 セカンドオピニオンを受けた病院に12月に入院した。のう胞は当時、直径約14センチにも。手術前、乳房の中身を全部切除すると説明を受けた。ところが、麻酔から覚めると、乳房の形はほとんど変わらない。摘出部分が小さかったためだった。

 ただ、がん細胞が周囲の組織を壊しながら広がっていく「浸潤」が起きていた。転移の可能性が出てきたのだ。しかし、がんの特性から、「他の補助治療を受けても生存率には差がない」と告げられた。手術のほかの治療はなかった。

 医師の説明は「再発リスクは、手術後3年間が高く、10年でかなり低くなる」。もっと早く受診していれば、浸潤は起きなかったかもしれない。それでも、前向きに考えることにした。がんは軽度であり、治療もそんなに苦しまなかった。乳房を残せたのはラッキーだったのだ。

 退院後、仕事は05年2月から再開したが、やりがいを感じない。やがて、がん体験を生かしたいと考え始めた。

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