Dr.中川のがんから死生をみつめる:/58 「死を忘れた日本人」へ

Dr.中川のがんから死生をみつめる:/58 「死を忘れた日本人」へ

新著「死を忘れた日本人」(朝日出版社、1575円)には、この連載「がんから死生をみつめる」ためのエッセンスが盛り込まれています。今回は、連載のおさらいをしてみたいと思います。

 もともと、生物に寿命などありませんでした。栄養がふんだんにあって環境がよければ、細菌などの原始的な生物は際限なく増殖します。しかし、細菌に「自他」の区別はありませんから寿命がない、といえます。「性」をもつ私たちは、個人のかけがえのなさと多様性を手に入れましたが、その代償として、個体の死を運命づけられました。死は、私たち生物が進化のなかで、「自ら創造した」ものなのです。

 がん細胞とは、細胞が「死ぬため」に作られた遺伝子が壊れ、細胞がもともとの「不死」の状態に戻ったものといえます。培養液のなかで大腸菌が増殖し続けるように、患者さんの栄養を横取りし、がん細胞は際限なく増えていきます。しかし、患者さんが「栄養失調状態」になって亡くなると、がんも生きてはいけません。これは、人口爆発と、それによる資源の枯渇と地球環境の破壊に似ていると、お話ししました。

 がん細胞は、死んだ細胞を補うための細胞分裂の際、遺伝子のコピーミスによって、いわば「先祖返り」した不死細胞です。実際、私たちの身体の細胞の1%近くが毎日死ぬと言われます。しかし、私たちの個体が、それで「死亡する」わけではありません。一方、脳死では、心臓をはじめ多くの臓器は生きているにもかかわらず、個体の死亡と判断されます。死は徐々に進む一連のプロセスですが、法律上は、「死亡時刻」によって「個体の死」が決定されるのです。

 かつて、「姥(うば)捨て」も「嬰児(えいじ)殺し」もムラ社会のなかで、共同体の合意として「合法」とされていた時代がありました。一方、現代の日本では、死を決める法律が、共同体の合意や宗教などの裏付けを失っているようにみえます。死の概念について、社会全体で共有できないままでは、今年7月の改正臓器移植法の全面施行後も、臓器移植はあまり増えないのではないかと思います。

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