がんを生きる:/77 希少がん/下 二十数個の腫瘍、すべて消え /大阪

がんを生きる:/77 希少がん/下 二十数個の腫瘍、すべて消え /大阪

◇今は新しい命の誕生を心待ちに
 「がん難民をつくらない」。今年6月、東京都中央区の国立がん研究センター(旧国立がんセンター)の宣言を聞いた堺市の松原良昌さん(67)は、心から喜んだ。数が少なく、治療や治療法開発で置き去りにされている「希少がん」患者にとって心強い言葉。しかもそこは、今も検査に通う病院だった。

 松原さんは07年夏、希少がんの一つ「悪性リンパ腫」と地元の病院で宣告された。「5年生存率は30~40%」と言われ、頭の中が真っ白に。「自分の人生に終わりが来る」ことを嫌というほど思い知らされた。すぐに本やインターネットで自分の病気について調べたが、役立つ情報はほとんどない。分かったのは「標準治療がない」ことぐらいだった。

 「どの病院に行けば自分に合う治療が受けられるのか。がんの種類別に、各病院の得意な治療法や治療実績が分かるガイドブックが必要だ」。松原さんが希少がんの「受診ガイド」の必要性を訴えるのは、当時の体験が元になっている。

 松原さんはいくつかの病院を受診した後、東京近郊で暮らす一人娘(38)の勧め通りに国立がんセンターに飛行機で通い始めた。

 抗がん剤治療はつらく、薬というより毒と呼ぶべきものだった。ふらふらになりながら、関西国際空港-羽田空港間を往復して通院した。治療は納得して受け、08年秋には全身の腫瘍(しゅよう)が見えなくなる「完全寛解」を達成。PET-CT検査で全身に二十数個もあった腫瘍が、全くなくなっていた。

    ◇

 がんとの闘いは「5年生存率30~40%」で受けたショックでスタートした。今は「がんと共存し、再発を遅らせられたらいい。あと10年ちょっと生きたら、平均寿命に達するな」と考えている。医療は進歩しているから十分可能だ。

 患者会の活動も、心に余裕ができて本格化した。自分で経験したように、希少がんは標準治療がないものがあり、薬の開発の遅れはひどい。専門の医師も少ない。この状況が少しでも改善されたらと、国立がんセンターなどに求め続けた。

 松原さんは今、1匹の猫を相棒に1人暮らし生活を送る。妻は、初孫の出産を控えた娘の元に飛んでいった。話が孫に及ぶと、「ものすごくうれしい」と声が弾む。

 がんを患って人生の終わりを意識し、新しい命が一層大切に思える。「私が死んでも、血のつながった人間が残る。成長して、社会貢献する大人になってくれたらいいな」。赤ちゃんを抱く日を、心待ちにしている。

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