広島原爆の日:がん発病、やっと向き合えた負い目--楠本熊一さん /和歌山

広島原爆の日:がん発病、やっと向き合えた負い目--楠本熊一さん /和歌山

◇「核廃絶、見届けたい」--県被災者の会・楠本熊一会長
 「やっと被爆者の仲間入りができた」。65年前の6日、広島市で被爆した「県原爆被災者の会」会長の楠本熊一さん(85)=和歌山市東高松3=は今年4月、胃がんと告げられた。無数の命が奪われた広島の街で、他人を助けることもできず生き残った「負い目」にさいなまれてきた65年間。がんの発病によって、その負い目に初めて向き合えた気がする。原爆の日を、毎年訪れていた広島でなく自宅で迎えた楠本さんは、「助けたかった思いは変わらない。でも私にやれることを続けたい」と語る。

 広島文理科大(現・広島大)1年だった6日朝、爆心地から約1キロの友人の下宿で被爆した。窓の外が真っ赤に染まった直後、建物が崩れてがれきの下敷きになった。右腕に割れたガラスが刺さり、黒い雨が降ってきた。

 やけどで全身がただれた人たちが街にあふれ、水を求める人たちが川をさまよっていた。家屋の下敷きになった友人もいたが、通り過ぎることしかできなかった。「原爆は一瞬だったけど、見捨てた罪は一生です」。毎年広島を訪れるたび、“罪”がのしかかった。

 63年には県内の被爆者有志ら約350人と同会を結成。被爆者手帳取得の取り次ぎなどに取り組み、がんの発病を恐れる被爆者に寄り添った。核兵器廃絶のために学校などでの語り部活動にも力を注いだ。「動いていることで良心の呵責(かしゃく)から逃れたかったのかもしれない」と振り返る。

 今年4月15日。医師からがんを告げられた。前日に血便が出たときに覚悟はできていた。胃の3分の2を摘出し、約1カ月後に退院。しかし食が細り、2キロの散歩もできなくなった。会の会長を辞めようと思ったが仲間から慰留され、生き残ったつらさを語り合ってきた全国各地の仲間の存在にも背中を押され、再び前を向く気持ちになった。

 核兵器廃絶に向けた動きが活発になり始めている。楠本さんは「廃絶を見届けたいという思いは以前にも増して強い。先に亡くなっていった人たちのためにも、生きたい」と話す。

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